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真珠湾攻撃の日に改めて考える「情報」の重要性 — 石川 了

経済ニュース
12月8日という日がまたやって来た。77年前、日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃して日米戦が開始されたが、(この戦略を含め)その後も愚策を重ねる当時の日本を「情報」の視点から考えてみた。
日本の攻撃を受けた米軍艦(米海軍公式写真より:編集部)
1.「情報」を無視した開戦
「総力戦研究所」という組織があった。この組織は国防の研究を目的に、1940年10月に各官庁・陸海軍・民間から若手エリートたちを選抜して、内閣の直轄組織として作られた組織だ。その組織で1941年7月に軍事、外交、経済等の各局面での具体的な事項について各種データを基に分析し、「日米戦争」の展開を研究予測した。
そして「総力戦研究所」は、『開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。よって戦争は不可能』という「日本必敗」の結論を導き出した。この机上演習は結果的におそるべき的中率で、「真珠湾攻撃と原爆投下」を除いて、ほとんどあたっていた。日米開戦の5ヶ月前に日本が必ず負けると予測していたのだ。
しかし、このレポートは8月に首相官邸において関係大臣、政府高官の前で報告されたが、「あくまでも机上の演習」という理由で陸相に握りつぶされてしまう。
机上演習といえば、その9ヶ月後、日米戦の転機と言われたミッドウェー海戦におい

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