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労働力の問題 (『脱学校的人間』拾遺)〈7〉

 一般的な労働として抽象された「労働力」は、まさしく「商品として見出される」わけであるが、その「商品」に対しては一般的に、使用価値と交換価値という二側面の価値が見出される。そのそれぞれの「意味づけ」の違いについて、例え話を交えながら考えてみよう。 ここに2本の単三乾電池があるとする。その乾電池が使用者に買われ、そして実際に使用されるにあたって、1本は懐中電灯を点灯させるのに使う場合と、もう1本は目覚まし時計を動かすために用いる場合とを考えると、そのそれぞれ別の使用過程において「それぞれ別の使用価値を実現している」と見なしうることで、それは「その単三乾電池の、それぞれ別の労働の結果」であるとも言えるだろう。 しかし、一方で懐中電灯を点灯させていた1本の単三乾電池を、もう一方の目覚まし時計に入れ替えても、彼は「前任者」と同様にその目覚まし時計を動かすことができる。その意味で彼ら「単三乾電池の個別具体的な労働」は、そのそれぞれ個々の実際の労働実態はどうであれ、それぞれ互いに全く同質な「一般的な労働」なのであり、その一般的な労働は、それぞれ別の生産局面においての、それぞれ「1本の単三乾電池の使用価値」として、懐中電灯および目覚まし時計それぞれの「労働力としての単三乾電池の、それぞれの使用者の間」において、それぞれ互いに使用しうる商品としての「交換価値」が成立するというわけである。 さらに、

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