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日本は韓国の漁民拉致に屈して請求権を放棄した

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「日韓条約破棄なら日本資産の返還要求が可能(特別寄稿)」では、韓国が日韓基本条約を事実上破棄するような場合に、日本は日韓交渉が始まった1952年の時点に戻って、「韓国に日本人が残してきた財産について補償すべきだ」、「在日韓国人は原則として帰国すべきだ。また、在留したとしても特別の地位は認められない」という原点に戻って交渉できるということを書いた。
前回は朝鮮半島に在住する日本人は、終戦のとき、大勢は残留しようというつもりで、まさか強制的に帰国させられたり、財産が没収されたりするとは思っていなかったことに始まり、1952年の日韓交渉のはじまりまでの日本人財産の扱いについての経緯を説明した。
そして、あわせて、サンフランシスコ講和条約についての、1957年の米国政府の見解などを簡単に触れた。今回は、1952年以降の経緯について書く。
吉田茂と李承晩(Wikipediaより)
第1次会談は、1952年(昭和27年)2月15日から行われた。日本側は韓国に対する請求権を放棄しないことを宣言したが、これに韓国側は激しく反発して会談は中断した。
第2次会談は1953年(昭和28年)4月15日〜7月23日に行われたのだが、それに先立ち、李承晩大統領が1953年1月5日から非公式に訪日し、米国の斡旋で会談を行っているが、吉田茂は卑屈な態度をとらなかったし、李承晩も相変わらずだったので、表面をとりつく

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