コミュ力亡国論:知識否定の時代
現代を生きる若い方たちを見て感心するのは、微妙な差異や共通点を拾いあげて、当意即妙の対応をするということです。この技術は、われわれの世代にはなく、まさに脱帽です。
ただし、気になることがあって、それはひじょうに同質性が高いということです。それは近年採用された若手の教員の方と話しているとことさら感じます。
若い教員はコミュニケーションに特化
学校の教員はとくに純粋な日本人の新卒が大多数で純粋培養です。社会人(学校業界では、慣例的に民間企業や他の業種から転職してきた人たちをこう呼びます。自分たちは社会人ではないのでしょうか)を経験して奉職する人は今でもごく一部です。
教員がこのようなひじょうに同質性の高い集団で、これからの子供たちの多様化に対応できるのか、懐疑的になります。そして、文科省や教委からの締め付けによって、学校ではグローバル化や多様性と逆向きの、極端な同質化がおこっています。
若い教員の方たちは、いわゆる「ゆとり世代」で、彼らが学齢期のころは、われわれもコミュニケーション力重視で教えてきました。
教委のトップもコミュ力重視の知識否定
K市の研修センター所長の講話なんかを聞いていても、「これからは知識だけではダメで、不快な思いをさせない思いやりがないと生き残っていけない」とか話していましたが、これは多様性の観点から見ると、かんぜんに逆コースです。ほんとうのコミュニケーションは
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