ブログで100万の秘訣ってなに?
詳しくはコチラ

日大と関学は敵対関係だったわけではない — 大西 好宣

経済ニュース
ボブ・グリーシー(1966年撮影、英語版Wikipedia)
今や一億総評論家となった感のある日大の悪質タックル事件。問題となった試合のビデオを見て、真っ先に「彼」のことを思い浮かべたのは恐らく私だけだろう。彼の名はボブ・グリーシー(Bob Greise)。1967年から1980年まで、全米プロフットボールチームのひとつ、マイアミ・ドルフィンズで活躍した伝説のクォーターバック(QB、タックルされた関学の選手と同じポジション)である。
高校でラグビーを始めたばかりの私が、その彼を初めて見たのは1970年代の後半。
プロフットボーラーとしては既にキャリアの晩年を迎えていた頃である。私が今でも記憶しているのは、ヘルメットの奥に垣間見えたその知的な双眸と共に、鼻の上にちょこんと乗った丸眼鏡である。そう、彼は眼鏡をかけたままあの激しい競技を、それも世界のトップレベルでプレーしていたのだ。
へえ、ラグビーなら想像もつかないなあ。アメフトはヘルメットを被るから、眼鏡をかけたままでもプレー出来るんだ。その意味ではラグビーよりよほど安全なのかも。当時の私はそう思った。
実際、アメフトの歴史はその誕生から百年以上絶え間なく続く、安全性獲得のための戦史でもある。そしてその陰には、わが国はおろか、アメフトの母国である米国でさえ今や忘れ去られてしまった史実がある。それは、アメフトの原型が形作られたと言われる

リンク元

コメント

タイトルとURLをコピーしました