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河野家3代世襲の物語(一郎・洋平・太郎)

経済ニュース
河野一郎氏、洋平氏(Wikipedia)、太郎氏(ツイッター)
河野太郎氏の外相就任で、あらためて近代日本の政治史でも有数の名門である河野家が話題になっている。私は「政界名門一族の査定表」(宝島社)という本で、この一族を取り上げており、そのなかから、河野家についての記述の要旨を紹介する。
慰安婦問題での河野談話でその名を残しそうなのが、宮沢内閣の官房長官としてこの談話を出した河野洋平氏だ。親中姿勢から、「江(沢民)の傭兵」と揶揄されたこともあった。当時の判断としては、一種の「損切り」ということで、韓国の要求は怪しげな所もあるが、このあたりで手を打って話をおしまいにできればそれもよしということだったと思う。しかし、実際には、韓国がますます増長して要求をエスカレートしただけなので、大失敗だった。
また、村山談話のときの自民党総裁だったが、これも、まったく同じではないが、河野洋平氏の融和路線が良い結果をもたらしたとは思えない。
その父親の河野一郎は、日ソ国交回復の立役者だ。これも賛否両論あるところだが、病気だった鳩山一郎首相にかわって交渉の主導権をとった河野農相が、漁業協定を実現するために領土問題で二島返還だけを、それも、平和条約締結時にという馬鹿げた妥協を、フルシチョフを相手にしてしまった。
有名な岸・大野・河野密約事件は、1959年に帝国ホテルで岸信介、大野伴睦、河野、佐藤栄作の四人

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