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郡を知らずして日本史を語れず

経済ニュース

『消えた都道府県名の謎 (イースト新書Q)』というマニアックな本を出したら好評だったので、姉妹編で 『消えた市区町村名の謎 地名の裏側に隠されたふるさとの「大人の事情」』 (イースト新書Q)を刊行したことは、すでに「消えた1万市町村名の謎を追う」というタイトルで紹介した。
今日は、そのなかで扱った郡について紹介したい。
郡は律令制の空洞化に伴い、正式の行政単位ではなくなった。しかし、もともと河川流域などを考慮した自然の摂理にあったものなので意識の上では帰属意識も強く根付いたもののだった。また、幕府が領地を与えるときも、郡の単位で与える事は多く、藩内の統治単位としては重要だった。
そして、明治11年(1878年)に大区・小区制の行き詰まるののち、郡を復活させ、町村制を再活性化させることが図られた。
同時に、主要都市には区が設けられ、その区域は伝統的な郡から離脱し、これが、市町村制ができたのちは、市に引き継がれて、市になると郡から離脱した。しかし、当初は市の数は30ほどでし市域も狭かったので、国土の大部分はどこかの郡に属していた。
郡会が設けられ、議員は3分の2が各町村議会の互選、残りが所有地価が1万円以上の大地主の互選(のちに直接選挙による選出)、郡参事会は郡長と府県知事が任命する郡参事会員(名誉職)により構成されていました。
そして各郡に1人(小さい郡の場合は数郡に1人)の郡長を

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