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法王「神はお金以外全てを与えた」

南米出身のローマ法王フランシスコは7日、法王の宿泊地サンタ・マルタ館で慣例の早朝ミサを開いた。その日の説教の内容がバチカン放送独語電子版に掲載されていた。見出しを読んで、“あれ”と思った。見出しは「神は全てを(人類に)与えたが、金は与えなかった」という内容だ。ローマ法王は旧約聖書の人類創造の「創世記」の内容と詩編8章を引用しながら語った。
当方は特別に貪欲ではないが、「全てを与えたが、お金は与えなかった」という見出しを読んで、「お金を与えなかったのがひょっとしたら神の誤算だったのではないか」という思いと、「全てを気前よく与えた神がどうして肝心の金は与えなかったのか」といった不信仰な思いが湧いてきた。
現代人がこの話を聞いたら、「神は全てを与えたというが、金を与えなかったのなら何も与えていないことを意味する」と受け取るかもしれない。具体的に考えてみた。神は愛という内容の説教を百回以上拝聴したとしても、説教を終えて街に出かけ、空腹に悩まされた時、パンと飲み物を買うための肝心のお金がポケットになかったならば、空腹を抱えながらパン屋さんを通り過ぎなければならなくなる。
フランシスコ法王は「神は全て与えた」というが、パンを買うお金は与えなかったとすれば、空腹に悩む人にとって神は何も与えていないことに等しい。
空腹の時、神がパンを買うお金を与えなかったことが、神を否定する共産主義が

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