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『1984年のUWF』時代はまわる

経済ニュース

たしかに、アレはおかしかった。
1989年8月13日、横浜アリーナで高田延彦と船木優治(現:誠勝)が対決した(YouTubeに動画が落ちている)。「真剣勝負」を謳い文句にしていた新生UWF(第二次UWF)のリングでの出来事だった。
この試合は、不可解だ。最初に船木がキックや骨法仕込みの掌底のラッシュを仕掛け高田がダウンする。しかし、ダウンした後、明らかにカウントテンを超えているのに試合が再開される。そもそも高田が完全にダウンした後に船木は後頭部を蹴り続けるなどの行為をしているのだから、本来なら反則であり、イエローカードものだ。しかも、最後は古典的なプロレス技の「キャメルクラッチ」で高田が船木を仕留め試合が終わる。うつ伏せになった相手に馬乗りになって、顎を両手で持ち上げて相手の上半身を反らせる技だ。幼い頃のプロレスごっこの体験から、この技はよっぽどの実力差か、相手の協力がないかぎり決まらないことくらい、素人でもわかる。
私はこの試合の数年後、高校時代に近所のTSUTAYAでこのビデオを借り、実家で見た。「色々おかしい・・・」と思ってしまったのだった。自分の中でのUWF幻想、真剣勝負幻想が揺らいだ瞬間だった。
実はこの試合に関して、同じように疑問を抱いていた青年がいた。北海道大学1年生、柔道部の中井祐樹である。そう、のちに修斗に入門し、バーリ・トゥードのリングでジェラルド・ゴルドーや

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