経済と能力という商品価値
現代の経済では、学力を持つ知的労働者は高い価値を持つ者である。それは、その知的労働者の使い道が様々な場所で活用できるために、知的労働者は重宝されるとも言える。しかし、私達はこぞってなぜ社会で学力や固有の価値を磨かなければならないのだろう。それは、労働者は自らが商品として存在しているので、企業からどれだけ役に立つ道具として機能するか見られているためだ。そのために、私達は高い商品として存在しなければならない。しかし、その高い商品といっても人間には限界があるはずだ。今現在の日本経済も、発展途上国の人々ができる仕事が多いために仕事を奪われており、より高い質の仕事を得るために日本人はより勤勉になり仕事を得ようとしているのもあるはずだ。日本人は、高い技術力を持つ人材を売りにしているものの、発展途上国にもそのような人材が増えていくだろう。そのために、日本人はより高い境地に行くことが求められているのではないか。しかし、それは人間をやめない限り上に行くことはできないだろう。なぜなら、人間の能力は有限的であるためだ。それを解決するには、労働者は能力という商品からの束縛から解放される必要があるのではないでしょうか。しかし、最近身体に内臓やそれを外部に装着することで人間の性能や能力を広げる外部ツールがあらゆるところで研究されており、その装着した人間が一人でも表れればそれに勝てない人間は何人も出てくるので
コメント