市場価格、自然価格、必要価格、それらの違いを追求する②〜経済学原理第二章第三説について〜
古典派経済学において、未だに解決されていない大きな問題の一つだと思うが、アダム・スミスが主張する自然価格の明確な定義はなんであるだろうか?マルサスは「財・サービスの需要と供給のどんな変化でも、一時的には原価の影響に勝ってしまうことがある。だからこの需要と供給の原理は、自然価格を決めるための働きになる」と考えていたので、リカードは反論している。なぜならリカードの主張は、「自然価格は生産費や原価の別名に過ぎない」というものだったからである。ではマルサス、あるいはアダム・スミスは、自然価格は生産費の別名だと思っていなかったのだろうか?恐らくはそう判断するのが妥当である。 コトバンクによると、自然価格は資本論でいうところの"生産価格"に該当する。これは費用価格(生産費)に平均利潤を加えたものだ。基本的には自由に競争する資本主義経済においては、利潤が高い部門に資本が集まって生産量が増大するので、いずれはその価格と利潤は下がってしまう。利潤が低い部門は資本が離れていくので生産量が減少し、いずれはその価格と利潤は上がる。この2つの現象によって、利潤はけっきょく平均化するというものだ。自然価格がこの生産価格(生産費もしくは原価に平均利潤を加えたもの)と同義語だと解釈するなら、マルサスの主張はおかしくない。 この世に供給される様々な財・サービスは、実現するためには3つの条件が存在すると、マルサスは
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