何のためにそれをするのか。それにはどんな意味があるのか。そんな問を発する人が多くなったと感じる。一部ではそれが恋愛の様な事にまで広がっている。人を好きになるのにも結婚するのにも、それ相応の理由と根拠が必要で、何かをする時は全てメリデメで考える。友達も仕事も、趣味も旅行も。SNSで繋がった友達が多くて社交的に見えても思考は内向きだ。自分にとってどうかで考える。それはつまり、判断基準の多くを経済的合理性に頼っているということでもある。 意味を問うこと自体が問題なのではない。その背景にある価値基準が問題なのだ。 営利企業での仕事では経済的合理性を追求するのが資本主義として当たり前なのだが、そうした価値観が生活にまで及んでいる事になる。しかも人の生き方の指針にすらなっている。 経済的合理性の世界では全て金に置き換えて計られる。美術も芸術も、個人の時間も金で計られる。 金が指し示すものは市場価値と呼ばれている。市場価値とは、すなわち人気度だ。だから登録者数やイイネの数は重要だし、かつ、金になる。 商品が金になるためにはとにかく知名度が重要だ。知られて無ければどんなに良いものも売れない。知名度の先に人気度、つまり高評価がある。だからこそ広告業が成り立つ。続きをみる
Source: Note 起業ニュース
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