データジャーナリズムは何のためにあるのか?キャッシュ、クリック、そして試行錯誤㊦
この投稿はクリエイティブコモンズ 表示-継承 (CC BY-SA) ライセンスの下で、「The Data Journalism Handbook 2:Towards a Critical Data Practice」の一部を翻訳したものです。 正式な日本語版が出るまでの間、個人的に翻訳を行うことについて翻訳元のDataJournalism.comの了解を得ています。正式な日本語版が公開された時点で非公開とします。本文や見出しに修正を加えることがあります。なお、丸括弧内は原文を補足したものです。 データジャーナリズムに関していえば、過去[の作品]は序章にすぎません。2012年にピューリッツァー賞を受賞したニューヨークタイムズの革命的な没入型ストーリーテリングプロジェクト「Snow Fall」は、2017年12月に 「Deliverance from 27,000 Feet(Everest)」として登場しました。 5年後、ニューヨークタイムズ紙はまた別の長編記事として雪山の災害についての長い記事を取り上げました(著者は同じでジョン・ブランチ)。この5年の間に、「Snowfall」または「Snowfalled」は、ストーリーに派手なインタラクティブ機能を加えることを意味する社内外の略語となったのでした。 2012年以降、データジャーナリストが、どんなストーリーでも自動でSnowfallで
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