「痛いよ、君」と言われたことがあるでしょうか?私はあります!どれぐらいあるかというと、本格的に痛いと思われていただろうのは高校三年生のときでした。その時、私は、いわゆる今でいうところの「社会起業家」として活動していました。テーマは教育問題。世の中の大人と、学生が、対等に論理的に話し合える場を作ること。そのために日夜活動をしていました。平日の全て、土日もその活動で潰れる日々が続きました。しかし、世の中的には、高校三年は受験のシーズン。正直周りからは、とてつもなく寒い目で見られていたのを覚えています。それもそのはず、1円にもならないなかで、普通に考えると「そんなことするべきではない」「他にやるべきことがある」からです。「痛いやつだなぁ」と思われていたに違いません。
でも今になって思うのは、間違いなく、新しいことをする、というのは「痛いと思われること」と表裏一体です。とくに最初は、です。
Source: 現代ビジネス
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「痛い人」と、言われてからが勝負だ
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