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香港デモと天安門事件

経済ニュース
香港のデモは「逃亡犯条例案」の撤回でひとまず収まるだろうと私は考えています。もちろん、あれだけの熱い戦いでしたので全ての人が「そうですか」と簡単に引き下がることはありませんが、時間が経つにつれ、いずれ収まると思っています。
あの香港のデモを1989年の中国「天安門事件」と比較するケースが多いと思います。ともに若者を中心とするデモ、そして民主化という声がその背景にありました。事実、香港では毎年6月4日に天安門事件を記念する集会が延々と続いています。
それは香港人が天安門事件で戦った若者を神聖化し、中国人が得意とする「忘れてはならない事実」としての記憶遺産化している面が無きにしも非ず、という感はします。
では、それゆえの香港のデモだったのでしょうか?しっくりきません。
胡耀邦(Wikipedia)
まず、天安門事件は何が背景だったのでしょうか?それは従来の中国共産党への批判が爆発したことにあるのですがそのきっかけを作ったのが1989年4月に心筋梗塞で亡くなった胡耀邦元総書記に求めることができそうです。
胡耀邦氏は改革中国を目指し、あらゆる努力をしました。オープンで自由な中国を作るため「百花斉放、百家争鳴」といった政策を推進します。国民は氏を「開明の指導者」としましたが共産党の保守派からは厳しく批判され、その地位ははく奪されていきます。
ちなみに作家の山崎豊子氏が「大地の子」の取材で日本

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