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天を信ずる

明治・大正・昭和と生き抜いた日本が誇るべき偉大な哲学者であり教育者である森信三先生は、信というものに関し様々述べておられますが、一つに「信とは、人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない生の根本態度をいうのである」との言葉を残されています。私は、此の信とは言い換えれば、天に対する自分の信念だと思います。
例えば『論語』の「子罕(しかん)第九の五」に、「孔子一行が衛の国を出て陳の国へ向かう途上で、魯の国で一時期権勢を誇った陽貨という人物と間違われて陽貨に恨みを抱く匡(きょう)の人々に捕らえられてしまった時のエピソード」があります。
拘禁された孔子はその時、ひょっとしたら殺されるかもしれないといった中で、次のように言いました--文王(ぶんおう)既に没したれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其(そ)れ予(わ)れを如何(いかん)。
之は、「周の文王は既に亡くなっているが、彼の始めた文化は私が受け継いでいる。もし天が彼の始めた文化を滅ぼしてしまおうとお考えなら、そもそも私がそれを受け継げる道理が無い。しかし現に私がその文化を受け継いでいる以上は、匡の人々ごときが天に逆らって私をどうにかできるはずもない」といっ

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