1945年8月15日。日本人なら誰もが忘れられない日であります。その日以降、日本は戦争を放棄し、世界平和を祈り続けてきました。幸いにしてその後、原爆が実践で使われることもなく、日本の祈りは世界の人々に伝わったようです。
Wikipedia:編集部
何故戦争が起きるのか、何故、人は争いごとをするのか、これは永遠のテーマでしょう。小さな争い、例えば学校の成績を競う争いや仕事で営業成績を上げる競争はプラスの意味合いがある争いです。しかし、近所とのもめごと、いじめ、あるいは知らない人と肩がぶつかっただけで争いを起こすのはストレス、快感、威圧の姿勢などかと思います。
日本人は「サル山の大将」になりやすいとされています。大所高所から見れば「目糞鼻糞を笑う」程度の差なのですが、その微妙な差に人は優越感を持ったりします。体育会系のしごきなどはその典型で一年年長になれば自分の座る位置が変わるという論理性は儒教の精神かと思ってしまうほどでありますが、日本人は往々にして小さな差の中でうまく収まることを良しとする社会を育んできました。
一方、諸外国を見るとこれは猛獣であります。食うか食われるか、という勝負を先祖代々してきた大陸の人たちは常に圧倒的トップ、つまり支配者であることを望みます。私が集合住宅を開発していた時、欧米の成功者はなぜ、プレミアムを払ってでもペントハウスに住みたがるのか、と聞けば「その上に
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