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8月8日福山戦災の日に寄せて

経済ニュース
夏になると、福山では市内各所で毎日のようにお祭りや花火大会が開催され、夏休みで帰省する人たちもあり、非常に賑やかになります。特に8/15に開催される芦田川花火大会は、昭和20年8月8日、福山が受けた空襲で犠牲になった地域と市民を弔うためにスタートし、今では福山市民だけでなく市外の方にも多く参加していただける行事になっています。
広島の原爆の日は8月6日ですが、福山市はそのあとの8日に空襲を受けました。その日は約1時間にわたって焼夷弾が投下され、市役所、駅を始め主な建物、学校、そして市民の誇りである国宝福山城天守閣も戦火の犠牲となったことが記録されています。空襲が始まると大多数の市民は市郊外に避難したものの、防火活動に従事して逃げ遅れた人々、原子爆弾に対する防禦として防空壕から離れなかった人々、炎と煙にまかれて逃げ場を失った人々等、354名の方が犠牲になりました。
記録によると、当時の行政は、昭和21(1946)年4月、「復興5ヶ年計画」を立案し、着手しています。
1.人口:人口規模を当時の市域で6~10万人と想定し、できれば隣接町村との合併によって20万人をめざす。
2.産業構造:工業中心の産業構造に再編する。
3.商業地域:駅前区域に商業地域の形成を図る。
4.交通・工業配置:
福山港を整備し、周辺に工業専用地域を配備する。
福山駅の東方1.4km地点へ貨物駅を設置し、港や工

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