「市場投入前に、製品の使用環境に照らして安全性リスクを洗い出して評価し、計算されたリスクが社会的に許容可能な大きさ以下になるように製品を設計製造しなければならない」というのが安全工学の教えである。
この教えは正しいが、間違っている。
写真AC:編集部
社会的に許容可能なリスクレベルにすることが、すなわち、社会的に利益が得られるというわけではない。技術に対する理解が不足してリスクを過大評価すれば、技術の利用範囲が狭められる。個人情報を匿名化してビッグデータとして扱うことで新しい知識が生まれる可能性がある。しかし、匿名化技術に対する理解が不足すると、「万一個人が特定される恐れ」が過剰に強調されビッグデータの活用は阻害される。
社会はリスクを過小評価する場合もある。eスポーツが興隆の兆しを見せているが、WHOはゲーム依存を疾病に分類している。プレイヤーとして成功すればよいが、途中で落後する多数の選手には社会で普通に生活していくための治療が必要になるかもしれない。
ロボット掃除機がファンヒータを押して火事になることがあると東京消防庁が警告したように、複数製品の競合リスクを社会が想定していない場合もある。これもリスクの過小評価の例である。
社会的に利益が得られるレベルで社会が技術を許容するためには、その技術を社会が正しく理解する必要があり、そのためには教育が必要である。小学校では自動車交通が
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