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社会問題で「医師の診断」に期待しすぎではないか — 中田 智之

経済ニュース
昨今、薬物依存症問題や、高齢者ドライバーなどの社会問題で、「医師の診断」という言葉を耳にする機会が多くなった。
文脈としては、「医師でもないのに病気だということにしてはならない」とか、「医師の診断がなければなにもわからない」といったように使われる。社会問題に対して様々な考え方を横切って、医師の診断があれば問題の本質が詳らかになり、因果関係も大義名分も整うことが期待されているように感じる。
しかし医療人のはしくれとして、この論調は医師に過分な期待をしているものと感じ、余分な社会コストにつながりかねないのではと感じている。
きなこもち/写真AC:編集部
1.初診だけでわかることは限られている
依存症にしても高齢者の運動能力にしても、初診で医師がすることはチェックリストを埋めることである。これで概ねの患者の傾向を調べ、診断に基づいて治療法につなげる。
しかし、チェックリストを埋める作業は医師が行う必要があるだろうか。医師もしくは医師会が監修したチェックリストが準備できていれば、実施者は必要な教育を受けた職員で十分である。
医師の本領発揮は一人の患者に対し、一定期間の付き合いの中で、いくつかの処置を試し、効果が無かったら理由を分析して別の治療法を試し、そのやりとりの中で患者のパーソナリティまでも分析し、問題解決に導くものである。統計的な用語を使うと縦断的(経時的)なアプローチである。つまり

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