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偽善者は何故、気持ち悪いのか

経済ニュース
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、人間が「中間的存在」であると指摘した。「中間的存在」とは、人間が神と野獣の中間に位置するということだ。これは善と悪との間を揺れ動く人間の定めを明らかにしているものだ。神は善き存在であって、悪しき存在にはなりえない。その逆に、野獣は善き存在になろうと努力することがない。虎が目の前の草食動物を食べようとするとき、善や悪の問題を考えないのは当然だ。野獣は善く生きようという意志を持たないからである。
写真AC:編集部
神でも野獣でもない人間は、善く生きようとすることも出来るし、悪く生きようとすることも出来る。そして、残念ながら完全なる善にも完全なる悪にもなりえない。善き人も時に誤るだろうし、悪しき人も時には善き行いをすることもあるだろう。善と悪の間を彷徨うのが人間の定めに他ならないのである。
人間が中間的存在である限り、善にも悪にもなる。私は善く生きようとする人々が時に誤まったとしても、それを殊更に批判する気にはなれない。誰でも間違いはあるし、私自身も清廉潔白な人生のみを歩んできたとは言えないからだ。
しかし、偽善者は性質(たち)が悪い。彼らはそもそも善く生きようなどと思ってはいない。善く生きているように思われようと口先だけの美辞麗句を並び立てているだけなのだ。孔子は「巧言令色鮮し仁」と喝破したが、これは時代を越えた真実を表した一言である。
「リベラル

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