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「令和」ゆかりの大宰府は日本防衛の拠点だった

経済ニュース
友人の誘いで、福岡県にお伺いして、「令和」発祥の地である大宰府を訪れた。ここしばらくの間に、世界遺産の沖ノ島や魏志倭人伝に出てくる伊都国の跡といわれる平原遺跡なども訪れたので古代の筑紫地方についてかなり勉強ができた。
平原遺跡・1号墓(Wikipediaより:編集部)
太宰府市は、「令和」が「万葉集」における宴で読まれた歌を集めた部分の「序」から引用されたというので、時ならぬ大観光ブームだし、中国や韓国の観光客であふれている。
現在の太宰府市は、平城京や平安京と同じような都市プランだった大宰府都城の東北の端にある太宰府天満宮の門前町がもとになって広がり、西鉄の太宰府駅や九州国立博物館もここにある。
太宰府市にある坂本八幡宮。令和ゆかり記念ということで、5月1日から6日まで臨時で御朱印が授与された(Wikipediaより:編集部)
それに対して、令和ゆかりの地である坂本八幡宮は、特別史跡になっている大宰府政庁跡の北西にある。大伴旅人の館の跡だ。
大宰府には、白村江の戦いのあとの唐軍の来襲に備えた大野城や水城の遺跡があるが、観光地としてはほとんど注目されていないのが残念だ。
しかし、そもそも大宰府とはなにか。それは、西日本の政治と文化の中心である以前に、日本防衛のための軍事拠点として建設されたのである。
もともと西日本の中心は博多(那ノ津)だった。ところが、唐軍(白村江の戦いの敵軍には

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