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「朝鮮紀行」にバードが描く日清戦争における日本軍の行状

経済ニュース
日清戦争(1894年7月-95年4月)は日本と清国との戦争だ。下関条約の第一条に「朝鮮の独立」が謳われたように朝鮮半島を巡る両国の主導権争いだった。東学党の乱(1894年)に手を焼く李朝に支援を求められた清が兵を出し、天津条約*に基づき清から通知を受けた日本も出兵して開戦した。(*1885年の甲申政変後に日清で締結。両軍撤兵、軍事教官派遣禁止、朝鮮派兵時の事前通知などを決めた。)
日本軍歩兵の一斉射撃(日清戦争、Wikipediaより:編集部)
『朝鮮紀行』でバードはこう書いている。
平壌は猛襲を受けた訳ではない。市内では実際の戦闘はなく、敗退した清国軍も占領した日本軍も朝鮮を友邦として扱っていた。この荒廃の全てをもたらしたのは、敵ではなく、朝鮮を独立させ改革しようと戦った人々なのである。「矮人は朝鮮人を殺さない」ことが徐々に知られるようになり、多くの住民は戻ってきていた。
日本軍が入って来て、住民の大部分が逃げ出したのを知ると、兵士は家屋の木造部を引きはがした。往々にして屋根も燃料や灯りに使った。そして床でもした火を消さずに去るので、家屋は消失した。彼らは避難民が置いていった物品を戦闘後三週間で略奪し、モフェット氏宅ですら700ドルに相当するものが盗まれた。氏の使用人が書面で抗議したが、略奪は将校も現場にいて容認されていた。このようにして朝鮮で最も栄えた都の富は消えてしまったので

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