在野は謙遜語で相手を貶めるために言うべからず
呉座勇一氏が私の『呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか?』に反論して、『在野の歴史研究家に望むこと』という記事を書いているが、タイトルからして笑止千万である。
日文研サイト、BS朝日サイトより:編集部
「在野」などというのは、当事者が謙遜していうとか、反抗精神をポジティブにとらえて第三者が言う言葉であって、象牙の塔の住人が自分たちの仲間でない人たちを見下すように使うのは失礼だろう。
学会所属の自分たちは殿堂の中にあって、そうでない人は屋外席だとでもいいたいのかといわれそうな、誤った特権意識の表れだ。
もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない。
相手のいうことを歪曲したり他人に拡張するべからず
そして、この論争が始まってからの呉座氏の議論の進め方を見ると、相手の書いたものを拡張解釈して歪曲するとか、論争相手自身の見解でなく別の論者の意見を全面否定していないというだけで、論争相手の意見であるように攻撃するとかを繰り返している。
たとえば、こういうことだ。
①週刊ポストにおいて井沢元
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