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日銀の国債引受と財政拡大が招いた悲劇、1936年の二・二六事件

経済ニュース
83年前の2月26日、クーデター未遂事件「二・二六事件」が起きた。その犠牲者となったひとりが高橋是清(当時の蔵相)であった。
高橋是清(Wikipediaから:編集部)
高橋是清の行った高橋財政は金輸出解禁による円安放置政策、日銀引受による国債発行と財政支出の拡大、大きな低金利政策が柱となっていた。景気対策という側面からみると、井上デフレと呼ばれた深刻な不況から脱するために、積極財政と低金利政策により有効需要の拡大を計り、その意味ではケインズ的な政策であったとの指摘もある。ところが、高橋財政の柱のひとつである財政支出の拡大は、農村救済のための時局匡救事業ではあったものの、軍事費の拡大が最大の要因となっていた。
放漫財政とも呼ばれた拡大財政について高橋是清は、比較的短期間のうちに歳出規模は再び収縮し、景気回復に伴う税収増と相まって財政収支は均衡を回復するとの認識でいたようだが、これはやや楽観的すぎた。
1934年度の予算編成のころとなると、さすがに高橋是清も財政膨張の抑制、国債増額の是正に取り組みはじめた。1934年4月に高橋蔵相は次のように発言をしている。
「赤字公債が年々増えることは良くない。政府は決して之を安心して、何時までも続け得るものとは思って居らぬ。併し一昨年以来の我が国の一般経済界、産業界の有様を見たとき、先ず政府が刺激剤を与えるより外に手段はなかった」
1932年以降

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