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天皇陛下として最後の誕生日会見では、災害被災地への訪問が特に思い出深い出来事として挙げられた。そこは悲しみを共有し、傷をいたわる場であると同時に、再建への営みを励まし、勇気を讃える場でもあった。
宮内庁サイト、Wikipediaより:編集部
「日本のどこかで地震や水害などの災害があると、テレビのニュースからは目を離さなかった」。そんな両陛下の姿を側近から聞かされたことがある。できるだけ早く現場に足を運び、被災者とじかに触れあうことを重んじた。国民の象徴としていかにあるべきか、身をもって示そうとしていた。
皇室担当記者として同行した中で、鮮明に記憶に残っているのは2001年4月、神戸市長田区への訪問だ。1995年、阪神・淡路大震災の直後、両陛下が真っ先に足を運び、特に皇后陛下が車中からガッツポーズをした光景は、だれの目にも印象に残っているだろう。それに続く2回目の訪問だった。
初回、皇后陛下がスイセンをたむけた場所は、すでにスイセン通りと呼ばれ、住民たちが心から再訪を歓迎していることがわかった。両陛下と平屋暮らしていた人々の間に垣根は感じられなかった。遠いところにある象徴ではなく、庶民が手を触れることのできる存在だった。
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震災から8か月後の1995年10月、『男はつらいよ』最終作(第48作)のロケが、全焼した長田区菅原市場で行われ、市場の関係
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