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ゆとりなきゆとり教育の時代

経済ニュース

学校現場は、知識を否定し、話し合いばかりしています。学校教育の現場には、人間(子供)は正解を持っているという無垢な“信仰”があります。年号や公式の暗記はよくないと思いますが、知識じたいを否定してしまうのは、いかがなものかと思ってしまいます。
アクティブラーニングの危険性
たとえば、国語科は、漢字こそはつめこみでやりますが(さすがに漢字の書き方は「話し合い授業」化できなかったようです)、読解はほぼ主人公や周りの登場人物の心情理解に偏っており、いわゆる話の筋を読むような「読解力」は身につけようとしていません。
それよりも、国語科は道徳科と化しています。文章の正確な読解ではなく、「(道徳的に)こうあるべきだ」「こう読むべきだ」という読み方を教え込みます。それは道徳科を補完しているのです。(今年から小学校で授業化された道徳科も、まじめな先生ほどまじめに教えなくてはと、残念なことになっています)
ただでさえ、「好きなことをやりなさい」と言われながらも、教師の許すことしかさせてもらえない子供たちは、強烈なダブルバインドにさらされるでしょう。
これにより生まれる子供たちの思考の歪みは、無視できないものではないかと私は思っています。
知識を否定する学校
つめこみ教育とは言ったものの、未だかつて知育偏重の時代があったでしょうか。しかも、学校はますます「知識」を否定しているように思えます。たしかに公

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