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島津斉彬ができなくて久光だからこそできた革命

経済ニュース
NHK大河ドラマ「西郷どん」の史実無視ぶりはいくら何でも酷すぎる。「井伊直虎」は史実が分からないのだから仕方ないが、西郷や幕末の薩摩に謎なんぞほとんどないのだ。特に、斉彬と久光兄弟については、久光を凡庸な人物として描きたいらしいが、とんでもないことだ。まして、久光は今上陛下にとって高祖父に当たる人。またもやNHKが大好きな皇室イメージダウンの陰謀か?
現在の陛下はさまざまなDNAを受け継がれているが、そのなかで、島津久光に通じるものはかなり多いと思っている。久光は斉彬に比べてスケールが小さい凡人だったといわれるるが、そんなことはない。八方美人の斉彬にない久光の決断力で歴史は動いたともいえるのだ。
戦前の華族制度において旧大名で公爵だったのは、徳川、島津、毛利の三氏である。このうち毛利は一家だけだが、徳川は三家、島津は二家がこの最高の爵位を得ている。徳川は江戸開城のあと第16代として篤姫に育てられた家達に始まる宗家、明治35年(1902年)になって慶喜が立てた別家、それに昭和4年(1929年)になって大日本史編纂の功が認められた水戸家だ。
一方、島津は久光の実子である忠義が斉彬の養子として宗家を次いだので、久光は大名や宗家の当主だったことはないのだが、別に公爵家(玉里家)を立てることを認められて七男の島津忠済に継がせた。したがって、現在の御本家の当主である修久氏にとっては、血統として

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