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私にとっての読売新聞とは⑧

メディア間の競争が真相の解明に役立ち、報道の自由を支える柱であることは述べた。寡占・独占市場は競争をゆがめ、自由をないがしろにする。だが、過剰な個人攻撃や誹謗中傷、デマの横行、反道徳的な言論など、ネット空間での野放図な言論が社会に不利益をもたらすことを考えれば、自由がそのまま正義と公正につながるわけではない。
健全な市場を実現するためには、公共性のルールが求められる。市場のルールには、単に経済的な利益に換算される基準だけでなく、法や道徳といった非経済的価値基準も取り入れられなければならない。社会を構成する人々の良識によって、公共のルールから外れた情報は排除される仕組みが期待される。新しいニュース・メディアのあり方も、一企業が求めるビジネスモデルの観点からだけでなく、公共性の概念を取り込んだ、社会全体の問題としてとらえ直す必要がある。
だとしても、なれ合いの寡占体制や自由な競争を阻害する事なかれ主義からは、責任感に裏打ちされた議論も、説得力のある正義の訴えも生まれてこない。何のために取材し、記事を書くのか。その問いに答えを出すすべを失い、私は新聞社を去った。だが探索の旅はまだ続いている。確かに言えることは、記者個人が独立した自己を持っているかどうかである。時流に左右されず、社内の不当な圧力をもはねのける、信念を持っているかどうかである。恐れず、ひるまず、特ダネを追い続けることこそが、

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