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私にとっての読売新聞とは⑦

読売問題を通じた新聞と読者との乖離を語っている。世論から遊離した言論は存在意義を失うだけでなく、もしそれが力を持った場合、権力による言論統制に転じ得るので警戒が必要なのだ。
新聞社における編集と販売の分離は、報道を利益から遠ざける効用がある。編集の独立は、独立した報道を維持する土台となる。新聞の見出しを考えてみればよい。全国紙の見出しは記事に忠実に、正確性を重んじた表現が用いられる。各紙とも大同小異で、悪く言えば無味乾燥な見出しも多い。読者は見出しを見て購読するのではなく、すでに半年や一年の契に基づき固定されているからだ。一方、駅売りに頼るスポーツ紙や夕刊紙はそうはいかない。記事内容とかけ離れても、多少誇張があっても、目を引く派手な見出しをつけなければ売れない。市場に直結した編集は、独立を損なう。
だが、独立がまた読者との乖離を生むのも不可避だ。そこで、編集と販売の分離がどのように実現されているかを考えてみる。
新聞読者の大半は、日々、各紙の記事内容を見比べ、特定の一紙を購読しているわけではない。新聞大国の大量発行部数は、記事内容によるものではない点に留意が必要だ。市場には様々な商品が存在するが、販売している者が商品を理解していないケースはほとんどない。電器店の携帯やパソコンの売り場に行けば、係員が各メーカーのメリットデメリットを詳しく説明してくれる。消費者はそれぞれのニーズに応じ

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