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昨年2月、拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)を出版したが、当初、私は本の仮タイトルを「記者魂」としていた。記者魂を失った現代の日本メディアに対し警鐘を鳴らし、かつ、自分が新聞社を離れても、なお記者が本来持つべき精神を肝に銘じ、ものを書き続けるとの誓いを立てたいと思ったからだ。
だが、出版社の営業サイドから、もはやメディア系は売れないと却下され、「習近平モノ」になった経緯がある。メディアの権威失墜が、社会の無関心にまで及んでいることを実感し、寂しい思いをした。
言論の自由について、私は中国にいて感じたことがある。折に触れ書いてきたが、同著の前書きでそのことに触れた。今も見解は変わっていない。以下、その部分を再録する。
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(『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』前書きから一部抜粋)
一人の人間を理解するのは実に骨が折れる。ましてや一つの国を知ろうと思えばなおさらのことである。水分を取り除き中身を凝縮すれば、噛み砕く
現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言⑧
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