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東洋のマチュピチュ「別子銅山」

経済ニュース
別子銅山(新居浜市)を登ってきました。
別子銅山では、江戸から昭和まで約280年の間に、約70万トンの銅を産出。
日本の輸出や近代化を支えました。
険しい山の中に、住宅はもちろん、小学校・病院・劇場などを建設。まさに、「東洋のマチュピチュ」。非常に神秘的な空間です。
何も持たずに歩くだけでも大変な山道を、鉄道ができるまでは、男性は15キロの銅板を3枚(=45キロ)、女性は2枚(=30枚)背負って歩いたというから驚きです。
最初の坑道「歓喜坑」
今は中には入れませんが、時代を経てもなお崩れない石積みの正確さに、当時の技術や計算レベルの高さに思いをめぐらせます。
別子銅山で培われたものは、銅や金属だけではありません。
精錬過程で生じる亜硫酸ガスを処理する高度な技術から「住友化学」が、また、銅山経営に必要な薪炭や木材を調達するため「住友林業」が生まれました。
新しいチャレンジが次代の産業をつくる、ひとつの好事例ではないでしょうか。
一方で、明治・大正時代に急成長した企業の中には、その後経営が行き詰ったところも少なくありません。そうはならなかった住友グループからは、大胆さとともに、慎重さも感じます。そのバランスが優れているのかもしれません。
別子銅山は、一歩一歩山を登りながらさまざまな思考が芽生えてきます。皆様もぜひ一度いかがでしょうか。

<井上貴至のプロフィール>

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