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人間の価値は本当に平等か

当方はこのコラム欄で「『不平等』は本当に“公平”の結果か」(2017年1月21日参考)を書いたが、今回は少し視点を変えて「人間の価値は本当に平等か」について考えてみたい。
先ず、「人間は生来、平等ではない」。生まれた時から、遺伝子は異なり、その能力は異なる。知的能力だけではなく、肉体的能力も含め、人間が関与する全ての分野で人それぞれ異なっている。
全てが等しければ、極端な話だが、大学入試もオリンピック大会も不必要となる。幸い、「人間は平等ではない」から、大学入試もスポーツ大会もその意義を失わない。社会は選択のために体制、システムを準備する。
当方は久しく「人間は地位では平等でないが、その価値は平等だ」と考えてきたが、最近は「“現実の社会”では、そうではない。人間は不平等な立場で生まれ、その価値も平等ではない」という考えに余り反発心が沸かなくなってきた。当方の人間観がニヒリズムに陥ったわけではない。説明する。
「人間の価値」を判断するのは通常は社会だ。そして社会は不平等な状況下で生まれた人間の知的、肉体的能力の差を数量化し、測定する。その結果に基づき、人間を適材適所に配置する。そして人間の「価値」にも自然と相違が付けられる。会社から大学、ホテルからレストランまで一定の基準に基づいてランクがつけられる。誰も声を張り上げて言わないが、「人間は平等ではないし、価値も等しくない」のだ。
安定

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