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靖国神社という「偽の伝統」

経済ニュース

慰安婦像の騒ぎにからんで、また韓国が稲田防衛相の靖国参拝を持ち出している。靖国には朝鮮人日本兵2万1000人(すべて志願兵)の霊も祀られているので、彼らがそれを攻撃するのは天に唾する行為だが、それはともかくとして、こういう非生産的な紛争を避けるために、閣僚の参拝はやめたほうがいいと思う(論理的な反論は歓迎する)。
もちろん政治家が参拝するのは自由だし、それは西洋的な意味での「政教分離」に反するわけでもない。国家神道には宗教としての中身はなく、靖国は神社というよりアーリントン墓地のようなものだ。このような慰霊施設はどこの国でもあり、それを他国が非難するのはお門違いである。
しかし靖国神社は「非戦の誓い」を立てる場所ではない。それは1862年に「招魂祭」を行なうためにできた天皇家の私的な慰霊施設だった。それを明治政府が国家護持したのは、キリスト教のような一神教がないと国民を戦争に動員できないからだ。それは小島毅氏の指摘するように「天皇のためにみずから進んで死んでいった戦士を顕彰する施設」であり、国民に戦争で死ぬインセンティブを与えるイデオロギー装置だった。
これは驚くほどうまく機能した。来世を信じない日本人が「靖国で会おう」を合言葉でにして死地に赴いたのは、「万世一系の天皇」が神の代用品となり、個人を超えた永遠の「国体」という幻想を彼らに植えつけたからだ。実際にはこれも日本の伝統では

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