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コミュニケーションをとるにあたって、私は自分を開示する必要がある。経済サイクルにおける「交換」はコミュニケーションにおいても存在し、自己の情報と、それに相応した相手の情報を入手するための手段である。これは労働に似ている。働いた相応の賃金を得る。ただ自己の情報と相手の情報が同量であることをどのように証明することができるか。交換という場合等価性が必要であり、その尺度として機能する「貨幣」が必要だろう。コミュニケーションにおける「貨幣」をいろいろ考えてはみたものの、そんなものは存在しない。しかし経験上コミュニケーションの発生には必ず贈与が発生している気がする。贈与する/される情報に対して自己/他者による応答がある。コミュニケーション行為は、まずこの贈与形態における応答により個々人に仮決定された「貨幣」を形成する。そして交換としてのコミュニケーションは開始される。ただし説明としては不十分な点が多くある。まず、その「貨幣」はどこにも流通しておらず、厳密に言えばその対象にしか使用することのできないものである。他者を均一化することができれば、ある程度応用可能である(実際この世に蔓延するコミュニケーション論はこの既定をなおざりにしている)が、種々のコンテクストのばらつきなど、他者性を抑圧した他者とは傲慢な自己の派生に過ぎないのは、言わずとも知れたことだ。一人のための貨幣、その価値を均衡状態に保つに

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