急激な工業化が進んだ明治時代の公害問題として代表的な足尾鉱毒事件。田中正造の闘争はよく知られているが、故郷を追われた大多数の農民たちの記録は、ほとんど残っていない。鉱毒の溜池とするべく廃村にされた、悲劇の谷中村(現在の渡良瀬遊水地)の村長・茂呂近助のひ孫が、ファミリーヒストリーとともに日本近代史をたどる。※本稿は、津田正夫『百姓・町人・芸人の明治革命』(現代書館)の一部を抜粋・編集したものです。
Source: ダイアモンドIT
曽祖父は“裏切り者”だったのか?死者1000人超「悲劇の大事件」の知られざる真実 – ニュースな本
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