創業者から二代目へ:燕三条の町工場の一例
20年ほど前の話ですが、私は創業者である父から事業承継して、代表取締役社長になりました。当時の状況としては創業者である父は、56歳でした。趣味は魚釣りと野菜作りでした。車で15分ほどの寺泊漁港から、釣り船に乗って釣りに出かけました。季節によってさまざまな魚が釣れます。鯛・イナダ・イカなど、時にはクーラーボックスに入りきらないほど大漁のこともありました。以前の住居跡を畑にして野菜を作っていました。ナス・きゅうり・トマト・スイカ・玉ねぎ・じゃがいもなどなど。現在は母が畑を引き継いで耕しています。二代目の私は、31歳でした。入社9年目になっていました。4年前に結婚して、2番目の子供が立って歩くようになった頃でした。仕事は、入社当初は主にベンダー作業を担当していましたが、徐々にプログラム作成を行うようになり、レーザー加工機を担当するようになっていました。会社は、株式会社化して23期目を迎えていました。ほぼ毎年、生産設備を増強するため、設備投資を行っていました。その年も、レーザー加工機の入れ替えを行いました。機械設備の購入にあたっては、銀行からの借り入れで資金調達を行いました。3年から5年の長期借入を行い、返済が完成するとまた次の設備投資用の借り入れを起こすといった状況でした。当時、銀行からの長期借入の契約をするにあたり、代表者の連帯保証が必要でした。当然、私も自宅を抵当に連帯保証人に名を連
コメント