加速する社会切迫化する時間意識と脱・拘束の可能性
最近、タイパがいいとか、悪いとかいう言葉をよく聞く。タイムパフォーマンスの略語で時間効率のことらしい。コストパフォーマンス(コスパ)と並んで、行動や体験を決める大きな要素らしい。時間に対する意識がより高まっているということだろう。また、時間の使い方も年々変化している。例えば、かって出張など仕事で地方に行く際、一泊で行くのが普通だった場所が移動手段の高速化で日帰りが可能になると、一泊せず日帰りで帰るばかりか、オフィスに帰社して通常の仕事をしたりする。それまでは一泊して翌日帰京していたわけだから、日帰りになっても、そのまま自宅に帰ればと思うものだが。仕事中毒もいいところだが、こうした行動を仕事の虫とか、モラルということで済ませない気もする。移動時間が短くなったのだから、仕事もスピードアップしないと居心地が悪い。だれと競争してるわけではないのだが、社会との競争に負けているような気すらする。こういう時間意識の変化、切迫感を個人的な性分と放り出すのではなく、社会全体の時間の流れが加速していることの証左だとしたら。本書は、近代以降の時間構造の変化を詳述し、時間意識が言語や文化などと同様に社会構造化されていて、近代社会の変容の中で大きく変わっている様を解き明かす。個々人が勝手に時間を解釈したり、向き合っているのではなく、社会構造の一部に時間意識が取り込まれていて、個々人の時間意識は社会構造の影響
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