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デフレ経済はこうして発端した・・1990年代後半へ

日本経済がデフレに直面したのは1997年のことです。1997年4月に橋本龍太郎内閣で消費税が3%から5%に増税されました。このことによって1997年の4−6期はマイナス成長でした。しかしこのGDPのマイナスは4−6期の一四半期のみでした。一般的に1997年4月の消費税によって日本経済はデフレに突入したと言われていますが、それは誤解のようです。7−9期はプラス成長に戻っています。この年に(1997年)にはアジア通貨危機がありましたがこれも関係がありません。 1997年11月3日に三洋証券が破綻しました。同月15日北海道拓殖銀行が経営破綻しました。同月24日、山一證券が同じく廃業しました。1998年には日本長期信用銀行が破綻し外資に買収されました。 当時の大蔵省はどうしていたのでしょうか。本来であればこういった危機の場合に大蔵省は救済策を講じてきていましたが護送船団方式の修正を迫られていたと思われます。「財政金融分離」です。救済策を練っても「護送船団だ」と一喝されたようです。このようなことにより「大蔵省が金融機関を最終的には救う」という信用が失墜したと言われています。伝統的な護送船団的な取り組みの方が良かったと思います。これには外圧があったことは確実だと認識しています。外圧とは「伝統的な株式持ち合いの解消」「金融市場の解放」「伝統的な大蔵省の解体」です。これに拍車をかけたのが構造改革で

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