23/05/10
何年も前の話だが仕事でディレクターから「クオリティを上げて欲しい」というフィードバックを貰ったことがある。普通に考えてクオリティなんて定義が曖昧なので具体的に説明してもらわなければわからない。ここでこのディレクターのパワハラ体質を責めることはいくらでもできるが、そんなことに意味はないのでクオリティとはそもそもなんなのかについて考えたいと思う。おそらくこの人も、ディティールが多い=クオリティが高いという一般的かつ素朴な考え方をしていたのだろうが、僕にとってはこの前提そのものが疑わしい。この常識が通用するのはフォトリアリズムのような作風に限定される。画面上にディティールを追加することをクオリティだと定義することはある種わかりやすく、何も考えず作業時間を増やせばある程度誰でもクオリティを上げることはできる。しかしこういった作業時間=努力=クオリティという考え方は昨今もはや通用しなくなっていると思う。なぜなら作業時間を計算回数という言葉に置き換えてAIが同じことをやったら人間が太刀打ちできる話ではなくなってくるからだ。某VFX系のプラットフォームでAIアートが氾濫したことにはこういう背景もあるのではないか。仕事で物を作る為にはクオリティの定義をその業界の暗黙の了解に従って画一化するしかなくなるので、正解がある程度1つに決まってしまう。だからこそ計算によって簡単に模倣できてしまったのかもしれ
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