「ひびきあい・窓」より・・小論 産業革命以降の福祉社会への道 ・・2
大恐慌(1929年米国発信)が社会に及ぼした影響や、戦争が社会におよぼす影響に対処するため、チャーチルは1940年11月、1930年代の報告書を提出させた。1942年「社会保障及び関連サービス」(=べヴリッジ報告書)の中で「疫病、無学、失業、欠乏、不潔」という人類を襲う五つの災禍を克服するために、社会に対する国家の責務を規定し原則を打ち出した。これは今日でも我々の原則である(経済と人類1万年・・・ダニエル・コーエン p147)ケインズの経済理論のいう「社会は消費が不足したら貧しくなる」という影響を受け、彼は「社会費用」の負担は当然国家がすべきであると。1944年「自由社会における完全雇用」という報告書でまとめた。福祉国家はベヴァリッジが発明したのではない。福祉国家と言うアイデア1930年代以前からあった。しかし計画的、組織的に組み立てられたことは無かった。 福祉国家の主たる創始者はドイツのビスマルクが1883年低賃金労働者のための疾病保険法を制定、世界初の社会保障法を可決した。彼は「君主が、国益にきちんと配慮していることに国民が気付くと民主主義を尊ぶ諸君は(君主に)フルートを奏でる」と・・。第1次世界大戦前夜になるとイギリス、フランス、アメリカも社会保障制度法を可決した。(日本は1927年健康保険法を成立) 20世紀は国家の役割が急増する世紀となった。二つの世界大戦は公的
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