「問いづくり」というけれど、そもそも何のために問うのか
備忘録のため、某高校で実施する総合的な探究の時間のワークのためのシートに書いた一部分を残します。いろんなところで「問いづくり」のノウハウや要素分解が行われていることを見聞きします。また、総探と教科の探究は違う、と分ける思想をお持ちの方もいて、その点に大きな違和感を覚えます。そうやって要素分解を前提に授業デザインをするのはもちろん参考になるのですが、「そもそも何のために探究をやっているのか」と高校生が思い始めるのは当然で。「そもそも問いとは何なのか」「何のための問いなのか」が問われないことに違和感を覚えています。私なりに言語化してみたので、ご意見を頂戴できれば幸いです。この探究の時間では、共同体に属する人々で解決できていないことがら(「社会問題」といいます)を、なんとかしてメンバーの力で解決に導こうとする力を養います。そのためには、一人では解決することが不可能であることを自覚しましょう。ものの捉え方(眼差し、認識のレンズ)が異なる人々と、知恵や知識を組み合わせ、「こういう見方もある」「こういう仮説が成り立つのではないか」などとことばを交わしながら、願いや志を共有し、最適な解を導き、アクションを起こすことを目指しましょう。つまり、対話(ダイアローグ)を通して、メンバー全員が世界づくりに参加することを学びます。今後もその感覚を大事にしてください。では、世界づくりのための問いとは何なのでし
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