なぜ、学問は必要なのか?
佐藤春夫が「田園の憂鬱」を記した長閑(のどか)な町で、ぼくは小中高生活を送りました。以来、すっかり縁遠くなっていたのですが、同級生がイベントに登壇すると聞いてはじっとしていられません。久しぶりに懐かしの通学路をたどり、母校に行ってまいりました。
到着すると、振る舞われたのは学食のカレー。昔の味わいと比べようにも、記憶があまりにぼんやりしていることに苦笑い。辺りを見回すと、大庭三枝神奈川大学教授と、(以前このコラムにも登場していただいた)吉原真里ハワイ大学教授の講演者二人がお行儀よく並んで「黙食」しているのを発見。高校時代「この人たちは、いつ黙るんだろう?」というほどかしましかったお二人の、すっかり変わった姿に感心しながら、もう一人誘って控室にお邪魔し、昔話に花を咲かせました。
他愛もないことで大笑いできるのが昔の仲間の良いところ。調子に乗って盛り上がっていたら、係の方が飛んできて「舞台上にまで声が響いています!」と叱られちゃいました。三十余年経っても、この校舎内ではお説教される役回りみたいです。
しかしさすがは大庭さんと吉原さん。「学問を仕事にすることとは」をテーマに対談が始まるや、本領発揮。
「わたしたち学者のように学問を職業としていない多くの人々にとっても、きちんとした『批評』をするために、学問はきっと役立ちます」
「学
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