ちょうど40年前の今頃、愛知、三重、岐阜といった東海地区の大学生のひとりとしてアメリカの大学にいった。アメリカの大学と交流するという機会を持つことができた。その機会とは今からすると贅沢なもので1か月間、10人の日本人学生が学生会議をしてくるというものだった。そして旅費はなんと無料であった。ひとり100万円くらいはかかったであろう。30年続いた名古屋テレビ海外派遣制度でその19回目にわたしの名前があった。中西部から北東部にかけて車で移動をした。運転をしてくれたのは、ユタ州ソルトレークシティからバンを手配してくれた二人のドライバーだった。そのひとりとはつい最近まで交流が続いていた。続きをみる
Source: Note 起業ニュース
アイデア資本主義の一側面
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