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労働力の問題 (『脱学校的人間』拾遺)〈12〉

 労働力である労働者が生産するのは、彼の使用者が市場で売るための商品であって、労働者「自身のためのもの」では全くない。ゆえに結局のところ「労働するということそれ自体」が、直接に労働者一人一人の生命を長らえているなどということは、実際のところでは全くもって「ない」のだと言える。労働者が自ら唯一所有する商品である労働力を売って、その売ったカネで市場から商品として生活の糧を買うという、「迂遠な過程を辿ること」によって、労働はようやく労働者自身とその家族の生命と生活の維持に、「迂遠な形で影響を与えているのにすぎない」のだ。 しかし、生活の糧のほとんど全てが商品である以上、労働者自身とその家族の生命がたった今日一日の生活をやりすごすのにも、その迂遠な過程を辿るより他はないのだとも言える。その迂遠な過程がもし、労働者自身の「生活過程」において存在しないならば、あるいは労働者の現実的で具体的な生活から失われてしまったならば、それにより労働者自身の生命は、たちまち「直接その存続の危機にいたる」ことになる。つまり労働は、労働者一人一人の個々の生命にとっては、生きることの活路というより、それ以外の選択肢がありえないのであるがゆえに、もはやいっさいの退路を断たれた上で「労働するほかなくなる」という、絶体絶命の一本道となるのだ。 労働者は、自身が労働者である限りは一人残らず、自分自身とその家族が生きていく

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