金
とくに社会への不自由を感じないときは、拝金主義で、金になるという評価軸でいいのかもしれんが、環境問題とかの不自由を感じ始めた時には、自分の欲望の最大化よりもその課題解決という評価軸の方が、結局人類にとっては良いからそれが重視される。そして、そこに金が集まるようになる、というように、常に金は装置でしかない。大きな不自由がない時は、ひたすら身の回りを良くして便利さの最大化とか割と低次のものに金が集中するが…これからの時代は課題が山積みなので、そうはならない。問題は、金が集まる場所がなかなか課題の領域に集まらないこと。その理由は、評価の設定が難しい、というのが大きい?たとえば、本当にすばらしい教育とはナニカという理解を全国民がしている状況というのは考えづらくて、だから多くの人が理解しやすいカリキュラムの方が、もしかしたら本当に良いカリキュラムよりも金が集まりやすいのかもしれない。だから、管理経済というのは必要だし、またコミュニケーターも必要。いや、本当に良いものなら、万人がちゃんと本音では良いと思うのではないか??という疑問もあるが、これは真だと思う。ただ、その本当に良いものというのは、なかなかすぐに実現するのは難しくて、それよりも今できるマシなこと、をまずすべきでそうなると、なにが実際のところマシか、というのは、なかなか全国民が理解するのは難しい。それは、不便を被る人もいるわけだから。
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