みなさんにも経験があるに違いない。なにかの論争であれ単なる好意的な意見交換でも、何らかの議論がネット上で持ち上がると、人は自分の知っていること、あるいは知っていると思っていることをしゃべりまくる。中には、リンクや情報源を示す立派な心がけの人もいる。そういう人は、概して正しい可能性が高い・・・
・・・ただし、リンク先のビデオが数分以上の長いものである場合を除く。そういうときは、ほぼ間違いなく、完全な誤りであり、多くの場合、何も引用しない人よりもはるかにひどく間違っている。
このことに本質的理由はない。ビデオはなんらかの考えを裏付けるうえで優れたメディアといえる。長いビデオは概して優れた裏付けをもたらすはずだ。だったらなぜ、ネットでの引用は常に、例外なく常に、ひどく壊れやすい粘土細工でできているのだろうか?
なお、私が言っているのは、何かしらの客観的真実に関わる議論のことだ。”De gustibus non est disputandum” [好みの問題に論争はありえない]ということばがあるが、ビデオは主観的意見を裏付けるのに最適な手段であることが多い(”Honest Trailers“(オネスト・トレーラーズ)は私の一番お気に入りのYouTube番組のひとつ)。そして客観的観点を説明する「60秒」のビデオクリップは、1000の言葉よりも
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