Ali Amin-Javaheri(アリ・アミン・ジャバヘリ)氏は化学ビジネスに親しんで育った。父はイランの国営化学企業で働いていたが、一家はイラン・イラク戦争中の1980年代に国を逃れた。最初に移住したのはヒューストンで、父は経験を買われてさまざまな企業から歓迎された。
80年代のヒューストンは石油化学産業が支配していた。家族が後にワシントン州に引っ越したとき、アミン・ジャバヘリ氏はすでに共有結合、化学分解、物質の分子のカップリングとデカップリングの世界にどっぷり浸っていた。
ワシントン州は当時、Microsoft(マイクロソフト)が支配していた。テクノロジーが席巻し雨が多い環境は、テキサス出身のケミカルキッドにとって少しショックだったとアミン・ジャバヘリ氏は回想する。だがそれは誰もがテクノロジーに関わっていた2000年代のことだったため、同氏もそれが自分の道だと考えた。
ワシントン大学を卒業して最初の仕事でその2つの世界が出会った。それはChempoint(ケムポイント)のプログラマー兼開発者の仕事で、同氏が最初のスタートアップを立ち上げる前の唯一の仕事でもあった。
「私はある時シアトルで偶然その建物の前を通りかかり、オフィスの外にロゴを見つけた。Chempointという会社のロゴを見てすぐに興味をもった」と同氏は語った。「私は受付に立ち寄って何をしている会社なのか尋ねてみた」
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