■骨肉の家督争いに嫌気がさした民衆は山城国一揆を起こす
畠山義就/国立国会図書館
応仁・文明の乱の終結を機に、畠山義就は、畠山政長の領国であった河内・大和を平定し、さらには山城への侵攻も試みた。文明17年(1485)、政長が南山城に軍勢を派遣したことで、両軍は60余日にわたって対陣する。
ところが、南山城の国人が国一揆を結んで両軍に撤退を勧告したため、政長軍は北山城に、義就軍は河内に引き上げた
Source: グノシー経済
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名門畠山家、下剋上の波に飲まれる
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