岸と矢次(Wiki、Amazonより)
1957年に岸内閣が発足したが、岸首相は日韓会談の成功に意欲的で、就任の当日にフィクサーの矢次一夫と一緒に韓国の次期事務次官に決まっていた金東祚(戦前の高等文官試験に合格)と会い、「日本の過去の植民地支配を深く後悔し、早急な国交正常化をめざしたい」という意向を、李承晩大統領に伝えることを要請した。
矢次氏の紹介の言葉に終始、微実を浮かべていた岸首相は、次のようにいったと金東祚の回顧録にはある。
「帰国したら両国関係に対する私の意見を李承晩大統領に必ず中し上げて、冷却した韓日関係が打開できるよう額む」
「私は西日本の山口県の出です。ご承知のとぉり、山口県は昔から朝鮮半島と往来が多かったところですね。とくに山口県の萩港は徳川幕府時代の貿易船だった朱印船が朝鮮と頻繁に往来した寄港地でした。それだけに、当地人の血には韓国人のそれが少なからず混じっているのが事実で、私の血統にも韓国人の血が流れていると思うほどです。 いわば両国は兄弟国といえるわけです。
ですから、今日、面国が国交も結ばず、相互にいがみ合つているのはまことにやりきれないことです。私は、日本の過去における植民統治の過誤を深差省し、至急に関係を正常化するよう努力する覚悟です。なにとぞ私の意中を李大統領にお伝えください」
これでも分かるように、岸信介が日本政界にあって突出した親韓派であったこと
日韓交渉で韓国を助けた岸信介と邪魔した朝日新聞
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